ルイ・エラールのプロジェクト。
2019年の10月頃、取り扱っていたブランドのルイエラールの担当営業者から、ルイエラールが新たなプロジェクトが始まります……という連絡がありました。それは、今までに実績のある時計クリエーター、デザイナーたちとのコラボレーション企画で、そしてその第一弾が、アランシルベスタインだというのです。過去にもそういう話がなかったわけではないので、実際のところ、今回もぬか喜びになるのではないかと思ったりもしましたが、どうやら今回は本当らしい。そんな時、久ぶりに以前アランシルベスタインをご購入いただいたお客様からお電話を頂きました。「あれって、どうなんですかねぇ?動画見たら結構いい感じに思えて、なんかコレクションしたくなりました….。」とおっしゃられました。その時点で、恥ずかしながら自分は、その動画の存在を知らなかったので
「動画ですか?」
「ルイエラールのサイトにブラックダイヤルのモデルの動画でてますよ」
確かに、その動画は、ルイエラールのサイトにありました。その動画にはアラン本人も出ていて、時計もダイヤルのロゴこそルイエラールではありますが、これは間違いなくアランシルベスタイン本人のデザイン。この手のプロジェクトの場合、ライセンスのみ、***ふう、なんてのに注意が必要です。
交錯する情報…コロナの始まり
もともと生産数が、少なかったこともあり、ご予約販売という形になりましたが、白い文字盤は、なんとか2019年内に予約分が入荷、遅れていた黒文字盤も年を開けにはと聞いていましたがコロナウイルスの影響もあり輸入元からの情報も曖昧、途絶えてしまう状態、お客様との約束が果たせるか不安になっていました。ほぼ無理かもと諦めかけていましたが、この8月に無事黒文字盤も入荷しお待ちいただいたお客様に納品できました。
日本でアラン・シルベスタインといえば….モントレソルマーレ(旧 太洋商会)
アランシルベスタインが自分のブランドとして時計を世に出したのは1987年、たった3本のモデルからです。当時、日本でも全く無名だったアランシルベスタインを日本に紹介したのは、モントレソルマーレ(旧 太洋商会)の山崎社長でした。それからアランシルベスタインからの供給が止まるまで、最後までこの会社がアランシルベスタインの代理店を担当されました。アランシルベスタインというブランドは、販売している自分が、時計を作ったアランシルベスタイン、それを輸入した代理店、そしてご購入いただいたお客様との間に絆のようなものを感じる時計でした。そんな時計は他にはなかったし今後もないと思います。
これはきっとアランシルベスタインと山崎社長とのパートナーシップから生まれていたのだと思います。歴代の担当セールスの方々もユニークな人が多く、今も懐かしく思っています。自分が時計屋としてのささやかな歴史を振り返った時このアランシルベスタインというブランドを取り扱えた経験は自分にとって宝物です。また代理店のモントレソルマーレ(当時の社名:大洋商会)さんには感謝しています。
今回のモデル、ルイエラール レギュレター アランシルベスタインは、アランがデザインしたとはいえ、ルイエラールの時計です。その関係もありアランシルベスタインにもっとも理解のあるモントレソルマーレさんからの供給でないのはちょっぴり残念でした。
ある意味、商売抜きでオリジナリティのある時計(作品)を理解してくれる人たちのためにプロデュースするという情熱のこもった時計で作り上げたアランシルベスタインという個性(ブランド)を単に面白い、珍しいからという安易な考えで今後量産されないことを願っています。